『Who are you?』
1980年発売 松原みき2nd.アルバム。
久保田早紀の “異邦人”、谷村新司の “昴”、五輪真弓の “恋人よ”、松田聖子の
“青い珊瑚礁”などこの1980年にはたくさんの大ヒット曲が生まれました。
そんな中、デビューアルバムで国内にとてもポップな形で登場した松原みき、この2nd.アルバムでは杉真理ならではのオールドタイミーな“あいつのブラウンシューズ”と“気まぐれうさぎ-RunRabbit
Run-”を冒頭に並べた構成からも、より快活な側面を前に出して等身大の明るさを提示したアルバムとなりました。
作家陣も三浦徳子&林哲司に新たに松任谷正隆、鈴木茂、などを加えてポップでバラエテイ豊かな作品と音楽作りへ進化しています。
洗練されたメロデイとサウンドにメロウで甘い松原みきのヴォーカルが冴えわたっている。
個人的にはリズムの歯切れ良くブラスアレンジが冴えわたっているオシャレでファンキーな
“Jazzy Night”が超オススメ・・・
ライブでも大好評の1曲でした。
『-CUPID-』
1981年発売 松原みき3rd.アルバム。
当時は、俺たちひょうきん族などのバラエテイ番組の盛り上がり、音楽では“ルビーの指輪”などがテレビを中心に大ヒットしていました。松原みきもCMソングにトライしました。資生堂CMソングの
“ニートな午後3時”や佐野元春提供作品
“スーヴェニール”、彼女のライブで定番の“10カラット・ラブ”などが収録された3rd.アルバムになります。
このアルバムは全曲を今は亡き編曲家「大村雅朗」が担当しプレイヤーもドラムスに村上ポンタ秀一、ギターには今剛といった国内トップミュージシャンで仕上げられた極上のシテイポップとなっています。
日本人の殆どはこの
“ニートな午後3時”というタイトルで、初めて“ニート=NEAT”という「Coolでカッコいい」意味を持つ言葉を知りました。
現在使われている「ニート=NEET」とはまったく別の言葉ですね。このアルバムツアーは伊集院静が演出し、ブロードウエイ的なショーアップしたステージでした。
そしてこのアルバムのジャケット
(ブルーのシースルー)写真がとてもセクシーでした。
『Myself』
1982年発売 松原みき4th.アルバム。
ファンク・フュージョンバンド「Dr.Strut」が全曲のベーシックを担当し、その上に数原晋、ジェイク・H・コンセプションなど国内一流のホーンセクションを起用しダビング
され、アルバム全体のキラメキを出している。
このアルバムの中の “微熱が平熱”や
SEE-SAW LOVE”などは歌詞のテーマからメロデイ、そしてボーカルの表情がなんとも
キュートな仕上がりで、松原みきの魅力を引き出すポップな作品となっている。
勿論ライブでは定番の作品となりました。国内ではあみんの “待つわ”などがヒットしていました。
CDプレーヤーが発売され、これによって若者たちの音楽・文化・ファッションの大変化が起こりました。日本の音楽も好景気でバブルへまっしぐらに突き進んだ時代でした。
『彩』
1982年発売 松原みき5th.アルバム。
このアルバムタイトルはたしか・・・
ASIA~AJA~AYA〜彩(アジア〜エイジャ〜アヤ〜彩)と決まって行った記憶があります。
このアルバムから私がデイレクターとして担当しています。
別にアジア的要素が多い訳ではないのですが、作品的にはそれまでのサウンド&リズム指向のシテイポップから歌詞にポイントを置いた国内邦楽的なヒット曲作りを目指しました。
アレンジも林哲司、佐藤準に後藤次利を加え、国内最高プレイヤーによる
演奏でサウンドを作り上げたものです。
当時松原みきは国内各地のライブハウスで積極的にライブ展開をしていました。
東京六本木にあるピットインでは定期的にライブを行い、そのパフォーマンスに磨きをかけて成長して行った時期でした。
『REVUE』
1893年発売 松原みき6th.アルバム。
このアルバムではアレンジャー林哲司に加え新たに鷺巣詩郎を起用、作家陣も田口俊、
売野雅勇などを起用し、身近なテーマの中から生まれるロマンチシズムなどに焦点を置いた世界観でプロデュースしたアルバムです。レコーデイングで、よく喋り・よく笑い・
よく食べる松原みきさんでしたが、一度ツボにハマって笑いだすともう止まらない・・・笑い過ぎて声が枯れてしまい、レコーデイングを中止する事も度々あった事をよく覚えています。
レコーデイングにはとにかく熱心でウォークマンにイヤホンでスタジオ入りして、前回のボーカルテイクを聴きなおし「もう一度トライしてOKテイクを判断したい!」と毎回迫られました。
こうして歌った本人にしか解らない情感が込められたアルバム『REVUE』は完成しました。
『Cool Cut』
1984年発売 松原みき7th.アルバム。
このアルバムではプロデューサーに広告業界のコピーライター梅本洋一、サウンドプロデュースに四人囃子の森園勝敏を起用した斬新な切り口のアルバムです。
これまでの
テクニカルでシテイポップ中心のサウンドから森園氏率いるロックテイストのサウンドに思い切ってトライしました。
16Beatから8Beatへの大変身でした。
都内から離れて
河口湖に籠りレコーデイングをしました。
昼間は寝ていて午後4時くらいからのスタートで毎日徹夜に近い創作活動でした。
作品もデモテープではなくスタジオで作曲しセッションの中からレコーデイングした曲が多かった。
エピソードとして・・・とにかく風船が大嫌い!というキーボードの松浦氏のキーボードに風船をたくさんくくりつけて毎日イタズラしていたお茶目な松原みきさんの姿を思い出します。
『LADY BOUNCE』
1985年発売 松原みき8th.アルバム。
このアルバムは「カシオペア」のキーボード向谷実が全曲プロデュースを担当しました。前作のロックテイストからオシャレなフュージョンテイストのサウンドで展開しています。
スタジオ演奏メンバーもカシオペアのメンバーが参加したりして、そのテクニックも楽しめるアルバムとなっています。
作家も作詞に有川正沙子などを起用し大人っぽく
ファッション性を感じる世界観でのテーマ作りとなっています。
これは東京都世田谷区
用賀にある向谷実専用のスタジオでレコーデイングされました。
当時は都内では「マハラジャ」「ビブロス」「ツバキハウス」といったデイスコが大ブームで、鮮やかな衣装やアクセサリーで個性を放ち若者は自己表現をしていました。
街角にもグラフィテイアートなどを目にするようになり、ストリートファッションやポップカルチャーが浸透していった時代です。
高価なDCブランドも社会的に流行し、スキー、ゴルフ、財テクなどブームになった時代です。
フュージョン界のアーテイスト向谷実がプロデュースした事でそのファッション性・お洒落感・オトナ感が強調されたアルバムとなりました。
『Blue Eyes』
1984年 松原みき9th.アルバム。
本来ジャズが大好き!という松原みきの大好きなスタンダード・ジャズナンバーを、日本ジャズ界を代表するSax奏者でソウル・メディアで大活躍の稲垣次郎をプロデューサーとして起用し、彼のコーディネートで日本の大巨匠「前田憲男氏」に全曲の編曲そしてサウンドプロデュースを担当して頂きました。
もちろん稲垣氏のSaxプレイも収録されています。巨匠に囲まれて、私個人
大変勉強になったレコーデイングでした。
演奏が上手い・・・といったレベルではない、超越した音と情感のある演奏が収録できました。
外国ジャズスタンダードのカバーアルバム・・という事で『Blue
Eyes』というタイトルを付け「サイトウマコト氏」にデザインを依頼したこのジャケットポスターはニューヨークでの世界ポスター&カレンダーデザインコンクールで賞を受賞しました。
このアルバムでジャズが大好きな松原みきさんがホントに幸せそうに何度も何度も歌っていた姿が目に焼き付いています。
『Paradise Beach』
1983年発売 松原みきベストアルバム。
日立マクセルのビデオカセットのCMソングを松原みきが歌う事になり、 “Paradise
Beach”というシングルを制作しました。
作家陣は初めての「松本隆」「細野晴臣」を起用し、憧れの「はっぴいえんど」メンバーで制作しました。
CMソングなので今までの路線とは違った新しい松原みきの魅力を発見しよう!と作りました。
このアルバムの楽曲は
オムニバス的な人気のある作品をベストアルバム的に収録したものです。
天然の無邪気で陽気な性格の松原みきさん・・・こんなに若く亡くなられるとは思いもしなかった!
この後にアルバム制作するならば大好きなジャズテイストをトコトン活かしたジャズ三昧のアルバムを制作したかった・・・と悔やまれます。
『POCKET PARK』
1980年発売 松原みきデビューアルバム。
この年に私はキャニオンレコード(現)ポニーキャニオン制作部へ入社しデイレクターとして仕事を始めました。
発売当時、国内のレコード店では松原みきの宣伝ディスプレイが店内の天井から下げられていて、どれほどポニーキャニオンの期待を背負ったアーテイストだったのかが伺えました。
“真夜中のドア~stay with me”で幕を開けるデビューアルバム。 2nd.シングル“愛はエネルギー”も収録、このアルバムは新タイプのアーバンな都会人が聴くポップスでした。このデビューアルバムでは国内トップミュージシャンが参加してこのアルバムを完成させたのです・・・。
ジャズ好きの関西の女の子が都会的なアーテイストとして誕生したアルバムです。1980年は1990年に向けて音楽とテクノロジーが若者たちの生活に大きな変化と影響を与え、カセットテープやウォークマンが普及し、音楽を通じて共感し合い刺激的な体験や交流の中から自己の個性を鮮やかに輝かせていました・・・。そしてこのアルバムは国内のポップシーンを確実に変えたアルバムとなりました。 そして時を経て世界的に脚光を浴びる名作アルバムとして聴かれています。